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家族について考えることがあったので書いておこうと思う。
家族の定義をなんとするかは、個人の好き好きで、血のつながりを言う者もいれば、心のつながりだと言う奴もいるだろう。
どちらにせよ、家族は家族である。
俺としては、いざという時に助け合えるのが家族であると考えたい。
で、トグル氏の一族を振るいにかけた結果、本当に困った時に助けてやろうと思うのは妹のカケル氏だけであった。
そもそも、うちの親は再婚している。母さんは俺の助けなんかいらないのである。だから、再婚なんてしたんだ。お相手様様と助け合いでもなんでもしてくれればいい。
親父にかんしては、そもそも他人である。
ほかも振るいにかけてみた。ばあちゃんと母さんはなかが悪い。実の親子なのにもかかわらず、なかが悪い。ばあちゃんは孫である俺やカケルに、あんたらの母さんは育て方を間違えたと言った。
じゃあ、その子供の俺たちってなんなのだろうか。親戚の葬式で些細なことで騒ぎ立てる大人ってなんだろうか。人が1人死んでいるのだ。大変な事は五つのガキでもわかる。葬式に来てやったんだと偉そうに飯を食い散らかしてのさばる年寄りの親戚が大嫌いだ。あいつら、悲しんでなんかいやしないんだから。
よくよく、話を聞いていてみれば、俺の家族だったものの因果因縁は、一族レベルでのことらしい。
俺にはこの人の集合体が家族である意味も理由もないと思ったのだ。
わがいちぞくは、助け会えない酷い一族である。
俺には理解出来ない。
家族だと思えない。
だから、もうこんな家族は繰り返してはいけないとおもう。だから、俺は家族をしっかり愛して助けていきたいのだ。
家族は愛するものである。無償で愛するものである。無償で助け合えるのが家族。俺はそう思いたい。
俺が18年過ごしてきた家族と言うコミュニティは、かりそめに家族にほかならなかったのだ。
俺たちは
ジャガイモポタージュ
お久しぶりです(^O^)
夜勤明けのテンションってやばいよね;
トグル氏です
自分で言うのもなんだけど、問題が発生するとそれなりに働くが、平和だったり問題が終わりに近くなると怠け出すのが俺。
怠けると言うよりかは、飽きてしまう。
詰めが甘いとよく言われる。
賞味期限切れたジャガイモポタージュ飲んだら食当たった。
完全に自業自得だ。
今日、休ませていただいたから、明日はしっかり働こうと思う。
短期間でどーしてもお金が必要な時
こんなとき、どーします?
俺は借金好きじゃないです。好きな人はいないよ思いますが、金融機関に借りるという手も一瞬だけ頭をよぎりましたが、そこで思いとどまりました。やっぱり嫌だ。
たぶん、この調子だと飢え死にしても金融機関に頼ることはないだろうと思う。
で、短時間その日から働けるバイトを探してたわけなんだけど、これもなかなか難しいの。急いでるのに、本気で真面目に働きたいのに、面接と履歴書に時間を取られます。ほとんど、こいつらに邪魔されてるし、時間がな意味としては今日から働かせて欲しいけど、もちろんそんなところ数少ないからね、
結論から言うと俺はなんとかなったの。
久々にがんばったよ;
探し回ったよ。
でさ、面接と履歴書がいらない派遣の仕事もさ、そもそも派遣会社と契約するのに時間がかかるわけで、それにも何度か引っかかって振り回された。
最後に俺がいいたいことは、お金的トラブルには巻き込まれないことだ。
運が悪いと死んじゃうだろうし、俺は運が良かったの。
人生めちゃくちゃになるので気をつけましょう。
トグルはこれから気をつけます。
なんかめっちゃ雷なった
なんかめっちゃ雷が鳴りました今さっき。
もしかして車の音かもしれん。
人生、絶望の淵でもなんとかなるもんだなと思う。
絶望の淵のくせして、なんかいつも気だるそうなのに絶望の淵にてイキイキしている気がする。
やっぱ、がちもんの雷らしい
トグルはずっと同じことしてるのが大嫌いなんだが、たとえ絶望の淵でさえも変化さえあれば、悪いほうに転んだとしても、楽しんで生きていけちゃうタイプというのが、この世の中にはあるらしい。
冗談抜きでスゲー人
俺の知人に、真面目にスゲーのがいる。
トグルに関しては、友達は多いほうじゃない。そもそも、嫌いなやつと付き合ってられる社交性を持ち合わせてないのだから、社会で生活していくにはいかがなものかという感じだが。
そんなトグルがなんとか生きてるのは、トグルを取り囲む数少ない知人たちのおかげなのだと思う。
なかでも、今日話す知人はすごい。あいつには、俺の本性は丸わかりなんだ。隠し事はしてもバレるから、しないことにしてる。
年上だから、いろんなことが見えてるのかもしれない。ただ、だとしても。知人は、会うたびに俺の話をする。ようは、知人はトグルの話をするのだ。
それも、今まで言い当てられたことのないようなことを言う。確信をついたことを言う。今まで、実の親にでさえ俺のことわかってないなとか思っていたし、じぶんでさえわからなくなりかけた時期があったというのに、こいつは俺より俺を知ってるんじゃないかと思った。自分で自分を知ったつもりになっていたが、それ以上にそいつは俺を知っているんだ。
他の奴が知らない俺を知っているんだと思う。普通にトグルと関わるならば、俺は化け猫をかぶるから、普通ならわからないはずなんだ。げんに、あんまりわかられたことはない。いつもいい方向に誤解される。こいつには、あんまり警戒してないし、かぶっても仕方が無いから猫被らないからかもしれないけど、俺でさえわからないことをあいつは知ってる。
こいつには隠したって仕方が無いと思ってるから、余計自然体で接せる。
こいつの前では口数が少ない。もともと口数が少ないのが俺だから。文字は起こすけど。こいつにあって、こいつの前ではそのまんまでいいんだと思った。二十数年生きていて、初めて思った。楽なのだ。こいつと関わることは。楽だし、心地よい。そのままでいることを許してくれるから。
こいつ自身、色々苦労して生きている。俺は、こいつが周りと同じに俺の表面しか見ていなかったら、捨て置いたと思う。こいつといるのは楽だし、楽しいんだ。自分自身に必要だと思うから、助けたくなるんだ。人に必要だと思わせるって、スゲーと思うんだ。それはこいつの才能なんだと思う。
ひゃっほーい!
もうすぐ、知人の誕生日なんだが、プレゼントなににするかスゲー迷って。
結局、革の名刺入れにした。んで、誕生日の日に渡せなそうだから、早めに渡しちゃったんだけど。結構喜んでくれたみたいで、俺もすごく嬉しかった。
これは試練なのか?
自分の遠い知り合いが、お金に困っているらしいと言う噂を聞いた。
なんでも、自分の問題ではなく、他人の問題で困っているらしいのだ。
難しいところだ、
そいつと言うより、その相手が悪いのだろうと思うのだが、
よくよく聞くと、そいつもまた誰かのために金に困っている状況。
金の問題は難しい。
そこの連鎖に参入してまで助けてやろうとは、俺は思えない人間なんだ。
皆、優し過ぎるのかもしれない。
遠い知り合いみたいに、窮地に陥ってまで人を助けようとは、今の俺には思えないのだ。
昔の俺なら、困ってる奴をみたらなんだかんだ助けちまうのかもしれないけど、今の俺はそういうことできないと思うんだ。
いつからこんな薄情な人間になっちまったのか、わからんが、今の俺ははっきり言って薄情だ。だから、そいつはすごいと思うんだ。誰かを助けられるということは、じぶんがどんな状況にあれすごいことなんだ。共倒れちゃ意味がないんだがな。
そいつには、助けたい奴がいて、助ける実行力があったんだ。
そいつが数年後、普通に生きることができて、今の状況に勝つことができたなら、俺は聞きたいことが沢山あるんだ。
何を考えて、何を希望に生きていたのか。生きた心地はしたのか。そこまでして助けたい相手だったのか。そいつがどう歩んだのか、いや、どう歩んでいくのかを見ていたい。
こうやって、人の災難を他から眺める俺は非道だろうか。
人の生き様に惹かれると言うか。今回は、たまたま遠い知り合いだったんだけど。もともと、じぶんは、人の生き様に惹かれる人間で。この非道っぷりも、溢れ出る興味による物なんだよね。ある種、じぶんではどうしようもない物というか。抑えようがない物というか、致し方ないから放って置いている物なんだよね。
俺は、人が生きているのを見ていたいんだ。たぶん。
だから、色んなところに出向くんだ。
目の前で起こっていることを傍観することが、どれだけ非道だと罵倒されても、俺はこれからも見続けるんだと思う。